光源寺に伝わる飴屋の幽霊
※光源寺前の山門。お盆の時期になると「産女の幽霊御開帳」と掲げられる。
長崎市伊良林にある「巍々山 光源寺」というお寺をご存知だろうか。
このお寺には古くから伝わる幽霊伝説があり、過去に本物の霊が出たということで心霊スポットとしても名が挙がる。
お盆の時期、毎年8月16日になると、長崎市ではこの「光源寺」に保管されている「産女の幽霊像」と「幽霊を描いた掛け軸」が御開帳になり、地元のニュースでも取り上げられる。
産女伝説や「光源寺」に伝わる、悲しくも心温まる「飴屋の幽霊」についてご紹介しよう。
産女(うぶめ)とは
※佐脇嵩之『百怪図巻』より
1994年刊行、京極夏彦著の長編推理小説『姑獲鳥の夏/うぶめのなつ』が話題になったことで「うぶめ」をご存知の方も多いのではなかろうか。
産女(うぶめ)は姑獲鳥や憂婦女鳥とも表記する…、とWikipediaにもあるが、じつは産女と姑獲鳥は元々は別の妖怪だが、混同されて同じになったと言われている。
姑獲鳥と書いて「こかくちょう」と読むのだが、姑獲鳥は中国の妖怪で産女は日本の妖怪と考えられており、ゲームやオカルトファンの方ならご存知の方も多いであろう。
※荒俣宏『妖怪伏魔殿』より
姑獲鳥(こかくちょう)は夜行遊女、天帝少女、鬼鳥、乳母鳥、鬼車など多くの俗称があり、晋の時代の博物誌『玄中記』に登場する鳥の妖怪である。
三国志など中国の歴史上でも有名な荊州(現在の湖北省)に棲息し、羽毛を纏うと鳥に変身、羽毛を脱ぐと美しい女性の姿になると言われている。
子供を身ごもったまま亡くなると母親の思念体だけがこの世に残り、鳥の姿になって転生したという伝説もおり、子供への念が非常に強いのである。
幼い子供をさらって育てようとするため、姑獲鳥が出没する地域では子供がさらわれないよう警戒されているという。
姑獲鳥は狙った子供の服に血をつけて目印にするため、出没地域では子供の服を干さない習慣があるようだ。犬が苦手のため犬を飼うことで遭遇を回避できるとも言われている。
※鍋田玉英『怪物画本』より
一方、産女(うぶめ)は日本の妖怪である。子供を身ごもったまま亡くなった女性を埋葬すると、「産女」という妖怪になって現れる、という伝承は日本各地で古くからあり、地域によって「ウグメ」「オボ」「ウバメトリ」など呼び方もいくつか存在する。
多くの地域で共通するのは、
「子供が産まれないまま妊婦が死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出した後に、母親に抱かさせた状態で葬るべき」と伝承されている。
胎児を取り出せない場合は、代わりに人形を抱かせて棺に入れる地域もあるようだ。
江戸時代あたりに「姑獲鳥」と似た妖怪として混同されたが、いずれにせよ「産女」も「姑獲鳥」も我が子への強い想いから妖怪化したという共通点があり、現代では同一の妖怪として表記されることも多い。
光源寺に伝わる飴買い幽霊話
では「産女」についてご理解を得た上で「光源寺」に伝わる民話についてご紹介しよう。
元来、幽霊とは得体の知れない恐ろしいものではあるが、「光源寺」に伝わる幽霊話は怖い中にも愛情があり、優しい気持ちになれる話なのだ。絵本のように読みやすい話なので、まずはご覧いただこう。
民話「産女の幽霊」
昔、長崎の麹屋(こうじや)町に一軒の飴屋さんがありました。
ある晩、飴屋の主人が戸締りをしようとしていると、「トントン…」と表の戸を叩く音がします。
「ごめんやす、飴を一文ほど売ってくれはりますか…。」
戸を開けると、そこには真っ青な顔の女の人が立っていました。
飴屋の主人は、「こんなに遅くにどこの誰やろうか。気味の悪かね…。」と思いながら飴を一つ売りました。
ところが、次の夜もその次の夜も女の人は飴を買いに来たのです。
それから、七日目の夜のことです。
「すんまへん。今夜はお金がなくなってしもうたさかい、飴を一つめぐんでくれはりませんか…」
不思議に思った飴屋の主人は飴をめぐんで、女の人の後をそっとつけてゆきました。
すると、女の人は光源寺本堂裏のお墓の前でふっと消えたのです。
「うわっ、こ、ここは、墓じゃなかね!」飴屋の主人はあわてて逃げ帰りました。
翌朝、光源寺の住職さんに立ち会ってもらい、お墓を掘り返してみると、あの女の人が生まれて間もない元気そうな赤ちゃんを抱いているではありませんか。
女の人は、お墓に入れてもらった六文銭を一文ずつ使い、赤ん坊に飴を買って食べさせていたのです。
※母親が飴を買うために使った六文銭は、母親の死後「三途の川」を無事に渡ることができるようにと棺桶の中に納められた六文銭だった。三途の川の渡し賃である六文銭を使ってまで子供に飴を与えたいという母親の強い情念が感じられる。
住職さんが不思議に思って調べてみると、藤原清永(ふじわらせいえい)という若い宮大工が父親であることがわかりました。
清永(せいえい)は京都で修業中に女の人と恋仲になったのですが、長崎に戻ると親の決めた別の女の人と結婚したのです。
命がけで京都から長崎までやって来た女の人は、行くあてもなく、悲しみのあまりに死んでしまったのでした。
清永は悪いことをしてしまったと嘆き、赤ん坊を引き取って育てることにしました。
数日後、飴屋にまたあの女の人がやってきました。
「お蔭さんで、我が子を助けてもらえたさかい、何ぞお礼をさしてもらえへんやろうか…」と言います。
飴屋の主人が「この辺りは水がなかけん困っとります。」と言うと、女の人は「明日の朝、この櫛(くし)が落ちているところを掘っておくれやす…」そう言い姿を消しました。
翌朝、近くに女の人の櫛(くし)が落ちており、早速掘ってみると、冷たい水がこんこんと湧き出してきました。
町内の人々はここに井戸を作り、この井戸は、渇れることなく人々の喉を潤し続けたということです。
光源寺「産女の幽霊像の御開帳」
「光源寺」は筑後柳川の僧・松吟(しょうぎん)が寛永十四年(1637年)に開山した浄土真宗本願寺派の由緒正しいお寺だが、毎年8月16日になると「光源寺」では江戸時代から伝わる「産女の幽霊像」と「幽霊の掛け軸」が御開帳になる。こちらについてご紹介しよう。
この幽霊像と掛け軸は年に1度だけ、お盆の8月16日(10時~16時)のみのお披露目となっているので、毎年大勢の方が拝観のために訪れているのだ。
読経や法話、紙芝居などで仏の心を楽しく遊びながら学べる「ひかり子ども会」では、毎週土曜日(午後7時~8時)に決まったプログラムで様々な行事を行っている。
産女の幽霊像
この「産女の幽霊像」は江戸時代中期(延享5年)の1748年に作られたと言われている。
幽霊像の腕は作られた当時は両腕とも健在だったが、原爆の爆風でなくなってしまったそうだ。
今では想像するしかないが、優しく赤子を抱くような腕だったのではなかろうか…。
髪の毛は本物の人髪でできているが、今のところ髪の毛が伸びるというような話はないようだ。
眼球はギヤマン(ガラス)で出来ており、御開帳の時にロウソクに火を灯すと見る者の角度によって目が光って見えるという。
普段は専用の木箱に納まっているが、御開帳の8月16日だけは、子を想う母親の愛情を思い出してもらうため箱から出されるそうだ。こうして見ると恐ろしくもあるが優しそうな表情にも見えてくる。
産女の幽霊掛け軸
ご本尊の近くにある大広間では幽霊像の他に5点の「幽霊の掛け軸」が展示されている。
こちらも普段は厳重に保管されているが、年に一度お盆の8月16日のみ御開帳となる。外気に触れさせて劣化を防ぐためというのもありそうだ。
この掛け軸はおそらく模写になるのだが、実物も5点の掛け軸の中に展示されている。
実物の方の掛け軸は、元々は茨城県の「無量寿寺」というお寺に保管されていたが、「飴買い幽霊伝説」を広めるため、江戸時代頃に北から南へと全国行脚して、最終的にこの「光源寺」に寄贈されて、現在は御開帳の日に展示されている。
掛け軸はそれぞれ違う表情をしており、恐ろしい表情から優し気に見える表情まで様々だ。見る人の心持ちによって違う表情に見えるのではないだろうか。
光源寺の赤子塚
「光源寺」の裏をお堂に沿って進んで行くと、民話の中に出てきた「産女の幽霊のお墓」があったと言われている場所に「赤子塚」がある。じつはこの「赤子塚」は全国各地にも存在しており、幽霊が子供を育てるといった民話は日本中に伝わっているのだ。
長崎では六文銭で飴を買うが、他県では砂糖や団子など多種のパターンがあるようだ。いずれにせよ「子供が好きそうな甘い物」という共通点があり、我が子を想う気持ちが伝わってくる。
赤子塚に添えられている「石碑」にも母親の深い愛情を感じられる内容が刻まれている。もし実際に訪れる機会があったら、ぜひ内容を確認してみて欲しい。
ちなみに京都で幽霊の子育て民話で有名なのが「京都みなとや」である。『幽霊の子育飴』が名物で「ゲゲゲの鬼太郎」のモデルになったとも言われている。
小野篁(おののたかむら)が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる「六道珍皇寺」のすぐ近くなので、興味のある方はこちらも覗いてみて欲しい。
産女の怖い話(現代版)
全国各地に産女にまつわる逸話があることはご紹介したが、静岡市産女(静岡市葵区)の県道で起こったゾッとする話があるのでご紹介しよう。
1984年(昭和59年)5月15日の午前7時25分に静岡市葵区の県道で女性が運転する車が集団登校中の児童の行列に突っ込み、児童数人を跳ね飛ばしガードレールに衝突するという事故が起こった。
事故後の警察の取り調べで加害者の証言によると、三つ辻の道路の左側に『老婆』が立っており、避けようとして事故になったと答えた。しかし、この事故の目撃者によるとオートバイを追い越そうとして歩道に突っ込んだという証言が出ており、『老婆』を見た者は誰もいなかったという。
※正信院「産女観音」
その土地は古くから「産女新田」と呼ばれており、地名の由来は「江戸時代に牧野喜藤兵衛という男の妻が妊娠中に亡くなり、その霊が何度も現れた。その怨念を鎮めるために村人が産女明神として祀った。」と伝えられている。
現在、産女明神には子安観音が安置されており、「産女観音」として近隣の女性たちの安産の守護霊になっている。
地名が「産女」の場所で、江戸時代からあるいわくつきの場所で起こった子供に関わる事故だけに想像が膨らんでしまう恐ろしい話である。
巍々山 光源寺まとめ
産女は冒頭でもご紹介したが、現在では「姑獲鳥」とも混同されていることもあり、「子供想いの優しい幽霊」というイメージの反面、子供に対する強すぎる想いから「子供をさらっていくという怖い面もある妖怪」でもある。
先ほどお話しした「現代版の怖い話」の例もあり、小さい子供は目を離さず愛情を持って育てたいものである。産女の伝説にまつわる場所を訪れる際には、畏怖の念を持って訪れたい。
最後に当記事とは関係ないが、掛け軸にまつわる怖い動画があったので掲載しておこう。興味のある方は見ていただきたい。
番組中に開いた「いわくつきの掛け軸の目」
地図
名称:浄土真宗本願寺派 巍々山 光源寺
住所:長崎県長崎市伊良林1-4-4
電話:095-823-5863
駐車場:無料
関連URL:浄土真宗光源寺
コメント
全記事読み終えてしまった〜!
新作も楽しみにしてます!!