常紋トンネル

タコ部屋労働の末に開通した悲しきトンネル

常紋トンネルとはJR北海道石北本線の金華駅(現在廃止)と生田原駅の間にある、長さ507mのトンネルの事ですが、ここは北海道屈指の心霊スポットであり全国的にも有名な場所です。

トンネルと言えば怪談話や心霊現象がつきものですが、この常紋トンネルは本当にヤバい場所で、過去にあった惨状を聞けば誰もが納得してしまういわくつきの場所です。

トンネル開通後の常紋駅(現在は廃止)勤務になると、家族や職員に病人が出るという事で、常紋駅周辺の勤務は、当時の国鉄職員からも忌み嫌われたそうです。

ある職員の妻が前ぶれもなく列車に飛び込み自殺するという、痛ましい事件が起こったという話もあります。

1912年3月の着工から1914年10月の開通までの間に100人を超える犠牲者(400人を超えるという説もある)を出したとされるこのトンネルは、一体どんな場所なのでしょうか。

その悲しくもおぞましい黒歴史を紹介していきたいと思います。

タコ部屋労働

みなさんは『タコ部屋労働』という言葉をご存じでしょうか。

今ではありえない環境ですので知らない方のほうが多いかと思います。

タコ部屋労働というのは労働者のことをタコ(多雇)と呼び、タコを働かせる土工部屋のことを『タコ部屋』として監禁状態で働かせることを言います。

その労働環境は劣悪で、朝早くから夜遅くまで肉体労働をさせられ休憩もままならず、唯一の食事は大変粗末なもので座ることも許されないまま食べさせられていたと聞きます。

休日もなく、労働者たちは毎日、それこそ四六時中働かされていたわけです。

もちろんそんな環境でまともな生活ができるはずもなく、多くの労働者が脚気(かっけ)というビタミン欠乏症等の病にかかり倒れていきました。

しかし、タコ部屋で必要とされているのは単なる労働力です。

例え病であろうと休むことは許されず、逃げ出そうとする者は捕らえられ、裸で縛り上げられたのちに棒やスコップで殴られるなどの拷問を受けました。

時には病で、時には体罰で亡くなっていった人たちの遺体は付近の山林におざなりに埋められていたそうです。

この常紋トンネルの付近の山林で山菜取りをしていた住民が、人間の手や足などのを骨を発掘したことからも、それが事実であったことが窺えます。

常紋トンネルで運転士が見た怖い話

無念にも亡くなった人達の霊がそうさせたのか、開通後のこのトンネルではしばしば不可思議な現象が起こりました。

トンネル内で何の理由もなく電車が急停車する等の事故が相次いだのです。

常紋トンネルで起こった怖い話があります。

冷たい雨が降りしきるある日の夕刻、いつものように蒸気機関車が常紋トンネルの入口に差し掛かると機関士が突然叫びました。

「あっ、危ない!」

走る機関車の目の前に頭から血を流した男が立ちはだかったのです。

慌てて急停車した機関士はすぐに機関車から降りて調べてみましたが、辺りには誰もいませんでした。何かの見間違いだったのだろうと自分に言い聞かせ再び機関車を走らせます。

しかし、しばらくトンネル内を進むとまたあの血だらけの男が立っていたのです。

機関士は再び急停車させますが、その血だらけの男の形相が脳裏に焼きついて動けなくなり、機関車を発車することができなくなってしまいました。

結局、後続で現れた列車の機関士が代わりに機関車を動かす事態に陥ってしまったそうです。

その後、怪現象を見た機関士はこう言い続けたそうです。

「もう嫌だ。もう走りたくない…」と。

足をつかむ骸骨の霊

常紋トンネルの近所に住んでいる40代の主婦A子さんは、山菜を探すためトンネル付近の常紋峠へとやってきました。

トンネル付近は近くに住む人からは忌み嫌われており、めったに人も寄り付かなかったため、山菜取りの穴場スポットだったのです。

たくさんの山菜を収穫し終えたA子さんが帰宅するため峠を後にしようとした時でした。

なぜかきゅうに右足が動かないのです。

「おかしいな、何かに引っかけたのかな?」と思い、ふと足元を見ると、真っ黒の骸骨の手がA子さんの足首をがっちり掴んでいたのです。

パニック状態のA子さんは必死でその手を振り払いその場から逃れました。

その後、闇雲に走っていく道中で多数の骨が散乱しているのを発見したそうです。

その骨もすべてタコ部屋労働で亡くなった方たちの遺骨だったのでしょうね…。

うごめく黒い影

鉄道好きのBさんの体験談です。

ある日のこと、夜行寝台列車で網走から札幌方面へと走っていました。タコ部屋で強制労働させられた従事者により敷設された石北本線を通り、ゆっくりと常紋峠へと向かいます。

高度を上げて常紋峠を進んでいき、最後の駅の金華駅に着くとなぜか列車が停車しました。

ダイヤ通りなら通過するはずだが…、と不思議に思っているところに車掌が通りかかり事情を聞いてみると、走行中ブレーキ系統に異常が出たため現在点検中だと言われました。

その後、運転を再開しましたが車掌は決してこちらを見ず、何かに怯えているようでした。

常紋トンネルのことをよく知っていたBさんは「これはまずい」と思ったそうですが、恐怖を押し殺して自分の寝台へと潜り込みます。その時寝台の乗客はBさんを含めて3名のみ。

やがて列車は減速して、カーブに沿って右へ左へと曲がりながら進んでいきます。

しかし、そろそろ峠の頂上かというところで列車が減速、急ブレーキに近い状態であわや停車する勢いでした。ところが列車は止まらず運転士が警笛を鳴らしながら加速をはじめました。

そして、オカルト現象が起こることで有名な常紋トンネルの入口に近づいていきます。

トンネルに入った後もなぜか運転士は警笛を鳴らし続けています。不思議に思っていたBさんもやがて異変に気付きました。

「なんだこの臭いは…?生臭い…」

寝台車の中がトンネルに入ったとたん生臭いというか、汗臭いというか、何とも言えない臭いで充満してきました。

そして異臭とともに「ガシャ」「グシャ」と、割れた陶器を布袋に入れた状態で床に落として砕けるような、なんとも嫌な音が寝台車の廊下から聞こえてきました。

警笛が鳴り続け、列車のエンジン音が唸っている中、私は寝台で毛布を被り震えています。

その後の事は今でも後悔しています。好奇心が勝った私は、ふと毛布から頭を出してカーテンをめくり、廊下の方を覗いてしまったのです。

廊下には点々と水のようなものがこぼれ、足跡のように続いています。そして、廊下の窓の上についた小さな鏡に「黒い影」が映りこんでいました。

その黒い影が廊下の奥の方にすーっと進んでいくと「ガシャ」「グシャ」という音が影を追うように続いていきます。

そして黒い影が廊下の奥へ着いたとき、列車がちょうどトンネルを抜けたのですが、その影が消えていく瞬間にこちらを振り返ったような気がしました。

黒い影と目が合った私は、人間本当に恐怖に陥ると身動きがとれなくなるというのを実感しました。

しばらくして、ふと我に返った私に歩いてきた車掌が廊下から声をかけてきました。

「お客さん…見ましたか?」

慣れた手つきで廊下の水を拭き取る車掌の姿を見て、私はゾッとしました。

水滴を拭き取ったティッシュがほんのりと赤かったのです。車掌はボソッとつぶやきました。

「金華で急に停車しちゃう時は100%出るんですよ」

現場の運行スタッフも嫌う、常紋の恐さを体験した夜のことです。これは誓って実話です。

その後もこのような怪奇現象が続き、これではまともに稼働できないと考えた鉄道関係者は、慰霊目的としてトンネルより1km離れたところに歓和地蔵尊(かんわじぞうそん)をつくりました。

ちなみにこの地蔵の裏手にある空き地からも50を超える遺骨が見つかり、毎年6月には供養祭が行われる事となりました。

実在した人柱

さて、この常紋トンネルですが、以前より一つの噂が流れていました。

『トンネルをつくるために人柱を埋めている』という噂です。

怖い話などではよく聞く人柱という言葉ですが、実際にあるものだとは到底思えませんよね?

ですが、この人柱の噂は、とある偶然によって事実だと証明されることになるのです。

1968年5月16日に十勝沖地震(M8の強震)が起き、この常紋トンネルでは壁面の損傷などの被害を受けました。

1970年に壁の改修工事が始まると、ついに『それ』が発見され明るみに出たのです。

崩れた壁から出てきたのは立ったままの状態で埋められた人骨でした。

人骨は頭蓋骨を損傷しており、状況から見て当時監督の指示に従わなかったため、スコップで頭を殴りつけられ撲殺された遺体だろうと推測されました。

付近の住民は口々にこう言ったそうです。

「あれは人柱だ」「きっとまだまだたくさん埋まっている」と…。

その言葉通り、その後の発掘調査でもトンネルの入口付近や山の斜面や、ありとあらゆる場所で10体を超える大量の白骨死体が発見されることとなります。

見つかった遺体は留辺蘂町共同墓地内の「常紋トンネル殉職者之墓」に納骨されました。

事態を重く見た人々の手によって、1980年には金華信号場西方の高台(金華小学校跡地)に『常紋トンネル工事殉難者追悼碑』が建てられました。

タコ部屋労働の過酷さを示す、一通の悲しき手紙が後に発見されました。常紋トンネルの作業員(タコ)が、姉へ向けて書いたものだそうです。

・労働は深夜の3時から夜が更けるまで行われる
・耐えられないほど重いものを強制的に担がされ胸骨がベキベキと軋む音が聞こえた
・病気になっても治療は受けさせてもらえず回復の見込みがない者は線路の下に生き埋めにされる
・月に2回巡査が見回りにくるが遺体の存在は金でごまかす
・逃げ出した労働者を業者が銃を持って追いかけていった
・捕まった者は見せしめとして火炙りにされたり、裸に酒を吹きかけられ蚊責めにされた
・熊に襲われた者もいた

手紙の内容を読むと作業員がどれだけ人間の尊厳を踏みにじられたかよくわかりますね。

貧困のため地方から来た労働者に、労働の内容を知らせず金儲けができるとそそのかし、

騙されて連れて来られた方も大勢いたと聞きます。

病に倒れ、回復の余地がないとみるや線路の下に生き埋めにされる事もあったそうです。

自分の身体に土をかけられ埋められていく間際、私達には想像もできないような絶望を抱いて亡くなっていった方々を思うと、心霊スポットなんて軽々しく呼べませんね。

常紋トンネルは全長わずか507mですが、完成までなんと3年近くも要したそうです。

標高347メートルという常紋峠を通っているため、北海道の冬の寒さもあり作業自体が困難とされる難工事だった事も要因のひとつだと思います。

北海道開拓の歴史には、多数の囚人やタコ部屋労働者が関わっているということは紛れもない事実であり、多くの犠牲の上で成り立っている土地だという事を忘れてはいけません。

犠牲になった多くの御魂へご冥福をお祈りいたします。

最後に常紋トンネルのまとめ動画があったので掲載しておきます。よかったら記事と合わせてご覧ください。

地図

名称:常紋トンネル
住所:北海道紋別郡遠軽町生田原八重

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コメント

  1. 622D より:

    常紋トンネルは70回ぐらい列車で通過したことがあるので
    いつも亡くなった方々のことを想っていました
    常紋トンネルの書籍も拝読して
    とてもひどい実態を知り
    ひどい人権侵害が行われてたことに怒りを覚え
    暴行や過酷すぎる労働の日々で
    故郷の両親や兄弟、ふるさとの景色などを思い出しながら
    亡くなっていった方々に
    謹んでご冥福をお祈りいたします…

    • 全国怪奇現象ファイル より:

      コメントありがとうございます。
      拙文で恥ずかしい限りですが犠牲になった方々のことを想い真剣に執筆させて頂きました。
      過去に常紋トンネルが開通するまでにいかに凄惨な出来事があったかを風化させないように語り継いでいくことが大切だと思います。
      622D様以外のトンネルを利用する方たちにも心霊スポットとして怯えるだけではなく、一体どういった経緯で完成したトンネルであるかを知る手助けになれば幸いです。
      貴重なご意見ありがとうございました。

  2. よーこぶー より:

    タコ部屋というと、映画「母 -小林多喜二の母の物語-」にも登場しましたね。
    多喜二さんの家族がタコ部屋から脱走した労働者をかくまうシーンがあります(実際に多喜二さんが育った小樽にもありました)