奈良県屈指の心霊スポット
奈良県の最恐スポットとして有名なのはやはり白高大神でしょう。
怪談話などでもおなじみの稲川淳二氏が稲川淳二 解明・恐怖の現場~終わらない最恐伝説~ VOL.1 [DVD]で訪れたということもあり、全国的にも有名な心霊スポットと言えます。
噂ではこの神社の最深部にある修行場の洞窟(富雄の防空壕)を見にきた16歳の女性が、霊に憑依され気がふれて老婆が乗り移ったような状態になり、その後、行方不明になってしまったという話があります。訪れる際にはくれぐれも遊び半分で行かないようお願いします。
さて、白高大神の場所ですが、帰りが不安になるような細い農道を通って向かうことになります。車の場合は神社の途中までしか通れず、途中から徒歩になります。駐車場がないため最寄りのバス停から徒歩で向かうのがよいでしょう。
不安な気持ちをおさえながら農道を歩いていくと、うっそうと茂る木々の中に白高大神の鳥居が見えてきます。入口付近には今にも倒壊しそうな家屋も見られます。
歴史の裏側と中井シゲノ
入口の鳥居の裏側には『宗教法人 玉姫教会』と『教祖 中井シゲノ』と刻まれています。
中井シゲノとは、昭和2年に白高という白狐の神が夢の中に降臨したその後、玉姫社(大坂にある神社)を譲り受けたと言われている女性巫女です。書籍ではアンヌ・ブッシィ著の『神と人のはざまに生きるー近代都市の女性巫者』にも記されており、加持(ヒーリング)を用いて多くの悩める人々を救ったと言われています。最深部にある修行場の洞窟(防空壕)を目指しながら、数々の中井シゲノの伝説を紐解いていきましょう。
入口にあたる鳥居を抜けて湖のほとりを少し歩くと赤い鳥居が見えてきます。つい30年くらい前まで信者達がここで修行していたとは思えないくらい荒れ果てています。赤い鳥居も所々錆びていて塗料がはげ落ちています。しかし、それほどの不気味さは感じられず、どちらかというと自然と一体化してるような何か神格めいたものを感じます。赤い鳥居の先には修行者達が使っていたと思われる汲み取り式のトイレもあり生活感が伝わってきます。
赤い鳥居を抜けると山道が二手に分かれていて、左手へ進むと修行場の洞窟(防空壕)に向かうことになります。
さて、最深部に向かいながら中井シゲノについて語っていきます。
1903年(明治36年)に奈良のある農家に生まれ、巫女であった大叔母の元でシャーマンとなるべく修行を続けました。そして19歳で結婚してから長女と長男をもうけますが、22歳の時に起こったある事故がきっかけで失明してしまいます。長女の足が目に直撃する不運な事故でした。
さらに奥に進んでいくと、盲目が治るという言い伝えがある観音菩薩を祀っている滝壺が見えてきます。古の時代、天皇が盲目の皇子の目を滝の水で洗うと皇子の目が見えるようになった霊験あらたかな滝です。
そこで滝行をした中井シゲノは1927年(昭和2年)に突然『白高』という白狐の神が夢の中に降臨して、目に明るい光や色が映るようになったという伝説があります。その後も滝行を続け、その間に次女も生まれました。しかし3年後に夫が亡くなるという不幸に見舞われます。
1934年(昭和9年)中井シゲノはまたもや夢に白狐の神が現れます。
「大阪にある安居天神とその中の玉姫社に会いに行くがよい」
夢のお告げに従い、夢の中に出てきた玉姫社(大坂にある神社)をタクシー運転手と共になけなしのお金で探す旅に出ます。
大阪でついに安居天神を見つけ、半信半疑で境内に行くと本当に「玉姫社」がありました。これまでの人生や白高の白狐、夢のお告げの事を安居天神の宮司さんにお話しすると、宮司さんは今は祀る氏子のいない玉姫社をシゲノに譲ることを約束しました。
玉姫教会は伏見稲荷大社の特別講社に発展
その後1936年(昭和11年)にシゲノは大阪に移住して修行三昧の日々を送りました。玉姫社の信者は徐々に増えていき神懸かってきたシゲノは、信者の悩みをピタリと当て的確なアドバイスを与えていきます。信者の中には政治家や官僚、会社経営者などもおり、シゲノは有名な巫女となっていきます。
そして1939年(昭和14年)には玉姫教会は全国の伏見稲荷の総本山である伏見稲荷大社の特別講社になるまで成長したのです。その後の太平洋戦争の敗戦で信者が激減しますが『本物の神の言葉を聞ける巫女』としてシゲノの名声はさらに高まっていきました。
ここが最深部の鳥居と修行場の洞窟(富雄の防空壕)です。山の中だからか空気が澄んでいて、まるで異世界に迷い込んでしまったような感覚に陥ります。
この奈良にある白高大神は、滝行の道場として玉姫教会によって開かれたものです。不治の病に苦しむ人、悩み事を抱えた人がこの白高大神に通い、シゲノは神を降ろして解決方法を語りました。シゲノの能力は飛びぬけており信者もますます増えていくのでした。
真のシャーマンとして生きた最後の巫女
防空壕の奥にはひっそりと神域の名残のみが残されています。
玉姫教会はその後、1964年(昭和39年)にあの有名な伏見稲荷大社の大阪南支部として昇格しますが、次第に衰退していきます。そして、中井シゲノは1991年(平成3年)89歳の大往生でこの世を去りました。彼女は生涯を滝行による修行と人々の悩みを解決するために奔走したといいます。大勢の信者も知らずに消えていき、今ではこの白高大神も廃墟化してしまいました。
なぜ最盛期には多くの信者を抱えていた玉姫教会が衰退して自然消滅してしまったのか…。それは中井シゲノの天才性がずば抜けており、数多くの信者の中から後継者が現れなかったのが原因かもしれません。つまり玉姫教会は一人の天才巫女のために作られたもので、天才巫女がいなくなって存続ができなくなってしまったのです。そして廃墟となった白高大神だけが今もなお残されているのです。
中井シゲノ自身は生涯修行を続け、神との交信に命をかけていました。宗教団体の維持よりも個人の神との交わりを大切にしたかったのでしょう。そういう意味では彼女は真のシャーマンとして生きた最後の巫女だったと言えます。
歴史を遡り、紐解いていくと奈良屈指の心霊スポットと呼ばれる白高大神も、本当はパワースポットと言えるのかもしれません。訪れた際にはシゲノさんと白高様に労いの気持ちで手を合わせたいものです。
狩野英孝の行くと死ぬかもしれない肝試し~白高大神
地図
名称:白高大神
住所:奈良県奈良市大和田町1392
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