田原坂

映画『ラストサムライ』のモデル、西南戦争最大の激戦地

西南戦争といえば誰もが知っている、日本国内最後の武士による内乱です。

『田原坂』はその西南戦争最大の激戦地であり、死者が弔われている場所でもあります。

当時この田原坂は、熊本城へ続く唯一の道であり戦の要でもありました。

熊本城に籠城する味方を救出せんと田原坂を南下してくる政府軍、そしてそれを阻まんとする薩軍。

その戦いはおよそ一ヵ月にも及びました。

1日に30万発以上の弾丸が飛び交ったということからもその戦いの激しさがうかがえます。

政府軍・薩軍共に多くの死傷者が出て、その数は4000人以上にもなったそうです。

映画『ラストサムライ』の決戦はこの田原坂をモデルにしたとも言われています。

その戦場が今はどうなっているかというと、今現在田原坂には田原坂公園と西南戦争資料館、そして官軍(政府軍)と薩軍の墓地が別々に設けられています。

西南戦争ゆかりの地として観光客も多く訪れるこの場所が、なぜ心霊スポットになっているのか、その理由について語っていきましょう。

”雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ アラ田原坂
右手に血刀左手に手綱、馬上豊かな アラ美少年”

これは田原坂の戦いを元に作られた歌の一部です。

まだ20歳にも満たない若い少年達がこの戦争には駆り出されていました。

若くして戦わざるを得なかった少年達、その多くがこの戦いで命を落としたと聞きます。

田原坂公園にこの歌にある美少年の像が建てられており、深夜になると若い少年が馬に乗って駆け抜ける姿が何度も目撃されているそうです。

また、以前この公園の近くにあった電話ボックスでも女性の霊の目撃談が多発してたそうですが、今はなぜかこの電話ボックス自体撤去されているため確認する術はありません。

官軍墓地と薩軍墓地、そのどちらにも300人以上の戦死者が埋葬されており、田原坂の中でも最も霊の目撃談が多い場所です。

金属のぶつかり合う音が聞こえた、何かに足を掴まれたなどの霊体験が多く語られています。

またここでは村人などその他の犠牲者の墓はあまり見受けられません。

そのためか、兵士と同じくらい目撃されているのが村人などの無縁仏です。

戦争に参加したわけでもなく、ただ巻き込まれる形で亡くなった彼らの怨念は今もなお残り、藪の中から恨めしそうに睨みつけてくる大勢の生首を見た人もいるそうです。

では、田原坂に遊び半分で訪れた結果、恐ろしい目にあった人達の体験談を一つ紹介したいと思います。

ある日の夜、友人4人とちょっとした肝試し気分で田原坂に訪れた時の話です。

さすがに深夜の1時を過ぎた頃に訪れただけあって、霊感も何もない私ですらなんだか寒いなと感じるほどの異様な空気が漂っていました。

田原坂の慰霊碑を通り過ぎた頃、私たちは唯一霊感の強いAに何か見えるかと尋ねました。

Aは三か所を指さすと、「あそこにボロボロの服を着た人、上半身だけの人、ここに…」と、丁寧に何がいるのかを教えてくれました。

内心怯えていた私は「ふざけんな!!」とも思いましたが、友人達がそれを聞いてはしゃいでいるのを見て少し楽しくなったのを覚えています。

友人の一人がAに「誰かここに呼べる?」と聞きました。

Aは「いいよ!」と言って私達にはよくわからない言語を発し始めます。

固唾を飲んで見守る私達に、Aが目の前を指さして「きたきた」と言うものだから私達は怖さを誤魔化すように呼び出された『霊』に次々に質問をしました。

「どこからきたの?」「男、女?」「ここで何してるの?」

わいわいとふざける私達を尻目に、突然Aがすごい勢いで謝り始めました。

何があったのかと聞こうとしたその時、Aは私達に向かって「行け!行け!」と大声で逃げるよう促しました。

あまりの剣幕にみんなが走り出した時、後ろの方から声が聞こえてきたんです。

「なに・・・た・・・おま・・・ち・・・」

明らかに友人達の誰でもない声に私達は我先にと車に乗り込みました。

運転席に乗り込んだ私助手席に乗ったAは、

「俺はあそこの門を守る霊を呼んでしまった!そいつは俺達にとても怒ってる!必死に謝ったが許す代わりに女を置いていけと言ってきた!彼女からは特別な光が出ているからって!気を付けろ!今も後ろに乗ってる!」

と告げてきました。

この車はワゴン車なのですが他の友人達は後部座席で怯えていて、さらにその後ろのトランクに霊が乗っているというのです。

それを聞いた私はAと半ば喧嘩状態で話し合いました。

私「どうすんだよ!」

A「とにかくみんなを今日は俺のマンションに泊めよう!何とかしてみせる!」

汗をぐっしょりかいて言うAと顔を見合わせて、私は車を走らせながら後部座席の友人達に「今日はもう遅いから、Aの家にみんなで泊まろう」と話しました。

そのまま焦る気持ちを抑えながら車を運転していると、私以外の友人達がみな睡眠薬を飲んだかのように眠っているのに気づきました。

おかしいな、と思いつつ車を走らせていると目の前の点滅信号が赤に変わりました。

私「こんな時間に歩行者がいるのか?」

そう思いながらもゆっくり停車すると、後ろからゾッとするような視線を感じました。

見てはいけない、そう思いつつも振り返ると眠りこけた友人達の間にそれはいました。

後部座席の女の子を抱きかかえるように座った、頭の半分がふっとんだ無表情の兵隊がこちらをじっと見つめていたのです。

私「うわーーーーーっ!!

思わず大声を上げたにも関わらず、助手席のA以外に起きる気配はありません。

私は思わず運転席から飛び出て深夜の公道をただただ走って逃げました。

散々走り回ってくたくたになった頃、Aの運転する見慣れたワゴン車が背後からクラクションを鳴らして近づいてきました。

後部座席に乗っていた友人達もさすがにもう起きているようで、「どうしたの?」「何があったの?」と私に声をかけてきます。

仕方なく今度は車の助手席に乗り込み、Aの運転でAの家まで帰りました。

その間もみんなは何か出たのかと騒ぎ立て、怯え切っている様子でした。

その夜は女の子を真ん中に囲むようにみんなで同じ部屋で眠りにつきました。

翌日の朝、Aにこっそりともう大丈夫なのか聞いたところ、「なんとか元の場所に帰ってもらえた。でもあの子だけは絶対に連れていくと言われてしまった。多分彼女が良くない霊の波長に合ってしまっているのかもしれない…」と青い顔で語っていました。

その後はAがみんなに「もうあの場所へは近寄らないように」と固く言いつけ、みんなもそれを約束しました。

それから2か月がたった頃、あの時一緒に肝試しに行った女の子に相談されたんです。

「最近怖い夢をみるの…大勢の軍人さんに追いかけられる夢なんだけど…」

じつはあの時田原坂で見た幽霊について、A以外には詳しく話していませんでした。

もちろん女の子を連れていく~といった話も話していません。

まさか…と思った私はただの夢じゃない?と彼女の話をはぐらかす事しかできませんでした。

それからさらに5か月後の事です。

彼女は運転中にとある見通しのいい道路で対向車線に侵入し、10tダンプと正面衝突を起こし亡くなりました。

即死だったそうです。

なぜあの場所で…と私はショックと戸惑いを隠せませんでした。

彼女が事故を起こしたのは、あの日私が止まったあの点滅信号だったのですから…。

この霊体験を語った方は、親しい友人の死をいたく悲しんでいらっしゃいました。

田原坂は歴史的にも有名な場所ですが、訪れた人の中には車が突然エンストして動かなくなったなどの怪奇現象に見舞われた方も少なくはないそうです。

哀悼の念をもって訪れるならまだしも、遊び半分で訪れたら大事な何かを失ってしまうことになるかもしれません。

もし来られる際にはくれぐれもお気をつけ下さいませ…。

地図


名称:田原坂
住所:熊本県熊本市北区植木町豊岡

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