八甲田山

世界最大級の山岳遭難事件現場

『八甲田雪中行軍遭難事件』は日本最大の遭難事件としてご存知の方も多いかと思います。

1902年に起きたその事件は199人という死者を出し日本中を震撼させました。

日清戦争で寒冷地での戦いに苦戦を強いられた日本は、その当時、更なる極寒地であるロシアとの戦争に備えて冬季訓練に力を入れていました。

雪の中でも有利に軍を動かせるよう、複数の部隊が雪中行軍の訓練をしていたそうです。

今回の悲劇はその数ある部隊の中でも青森の八甲田山で訓練をしていた『青森歩兵第5連隊』に降りかかりました。

運悪く日本各地で最低気温を更新した1月23日に、部隊の210名は出発しました。

マイナス20度を下回る寒さ、さらに猛吹雪にさらされた210人は遭難という最悪の事態に陥ったのです。

遭難に至った原因は複数あったといいます。

訓練の3週間前に部隊長が変わり、加えて軍の上層部が訓練に参加し指揮系統が乱れた。

遭難の5日前の1月18日にあった予行演習は天候がよく、何事もなく訓練は終わった。

厳冬期の八甲田山に必要な装備を心得ていなかった為、替えの軍手や軍足は持たない・兵卒は防寒具が毛糸の外套(マント)2枚のみなど装備が十分ではなかった。

他にも様々な原因があげられましたが、上記の理由だけでも冬の、しかも寒冷地の登山訓練が難しいことはわかるかと思います。

出発から2日たった1月25日に、いよいよ進むことも戻ることも出来なくなった将校達は「各兵は自ら進路を見出して進行もしくは帰営するように」と隊の解散をその場で命じました。

当時部隊長であった神成大尉の「天はわれわれを見捨てたらしいッ!」という言葉に兵の多くは衝撃を受け、絶望したと言います。

それまでは軍という集団に属すことで自我を保っていた兵の多くは、その解散発言に箍が外れ正気を失ってしまったそうです。

ここを下れば帰れるのだと川に飛び込む者、イカダを作るのだと銃剣で木に殴り掛かる者、服を脱いで裸になる者いかに凄惨な現場であったか想像に難くありません。

結局参加した210名のうち11名を除く199名が死亡するという前代未聞の遭難事件となったのです。

さて、この199名の死者を出した行軍、その距離は20㎞にも満たなかったと言います。

通常なら徒歩で2日もかからない狭い範囲で、遭難者の遺体は続々と発見されました。

そして今、その場所は心霊スポットとしてその名を知らしめてもいるのです。

遭難から100年以上たった2014年、この地で不可思議な現象が起きました。

それは5月17日の午前0時を過ぎた頃、消防に1本の119番通報が入りました。

発信源はどうやら別荘の固定電話のようでしたが、通信状態が悪く相手の声は聞き取れない。

一刻を争う事態かもしれないとすぐさま出動し、40分後に消防隊が現地に到着するとそこには真っ暗な別荘があるのみで、急病人も遭難者もいなかったといいます。

今現在もなぜこんな電話が発信されたのかはわかっていません。

「誰かに助けてほしい、死にたくない」と願った誰かの残留思念が119番通報という形であらわれたのでしょうか。

その別荘の位置というのは、当時行軍があった場所と一致していたそうです…。

この話は当時、ニュースにも取り上げられ多くの関心が寄せられました。

この話を皮切りに八甲田山は心霊スポットとして有名になりましたが、実はこの八甲田山ではこの出来事以前から数々の霊現象が目撃されていたのです。

とある話では、夏の深夜にドライブに来ていたカップルのうち、彼女の方が急に震え出したそうです。

「寒い…寒い…」と歯を鳴らす彼女に心配になった彼氏が道を引き返そうとしたところ、ザクザク…ザクザク…という音がどこからともなく聞こえてきました。

そのどこか規則正しい音が、真夏にも関わらず雪を踏み鳴らしている足音だと気づくと同時に遠くからこちらに向かって歩いてくる、青白く光る軍人達の姿が見えました。

慌てて車を走らせた彼氏が隣に座っているはずの彼女を見やると、その姿がない。

翌朝になって彼女を探しに戻ると、ショックのあまり髪を真っ白にした彼女が放心して座っていたと言います。

ちなみにその女性は未だに精神病院に入院しているそうです。

数ある霊体験のほとんどは、やはり「軍人の霊をみた」「雪の中行進する足音が聞こえる」というものでした。

霊感のある方はもちろん、霊感のない人でも肩が重くなったり、『何か』を感じる人が多いと聞きます。

登山や観光で訪れる方も多いそうですが、くれぐれも幽霊目的で訪れるようなことはしない方がいいでしょう…。

地図


名称:八甲田山
住所:青森県青森市

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